陰翳礼賛~chiaroscuro~

Cinematographer 早坂伸 (Shin Hayasaka、JSC) 

◾️『歩きはじめる言葉たち 漂流ポスト3.11を訪ねて』の撮影について

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2020年3月31日昼前、野村展代プロデューサーから一本の電話があった。

「今朝、佐々部清監督が亡くなりました」ーー。

天と地がひっくり返るような感覚とはこのようなことを言うのか。全く現実感が追いついてこない。

亡くなった時の状況などを聞いて冷静に対応しようとするが、「人の人生がこのように閉じていいものだのか」と甚だ混乱していた。

取り急ぎ自分が連絡しなくてはならない佐々部組関係者に伝えるが皆一様に困惑していた。

野村プロデューサーから「コロナのこともあるので下関には絶対来ないでください」と強く念を押された。

日本全体がコロナパニックに陥ってた頃である。

ただ、監督の盟友であった升毅さんは制止を振り切り、新幹線に飛び乗った。

が下関に着きながらも通夜、葬儀への参列は認められず、ただひたすら駅から手を合わせたーー。

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自分、野村展代プロデューサー、升毅さんの3人は『群青色の、とおり道』('14)という作品からの“佐々部組”の一員である。よく冗談で「同期だね」などと語る仲であった。その後野村さんは佐々部監督と共同プロデュースで升さんを主演に迎え『八重子のハミング』を世に出した。自分はその作品も担当させてもらっている。他に遺作になった『大綱引の恋』、ドラマW『本日は、お日柄もよく』、スペシャルドラマ『ミッドナイト・ジャーナル』『約束のステージ〜時をかけるふたりの歌〜』を手掛けさせてもらった。いずれも自分にとってはかけがえのない作品、経験となっている。

 

野村プロデューサーは岩手県陸前高田市の廣田半島にある「森の小舎」に設置されている“漂流ポスト3.11”をモチーフに劇場用映画を撮ろうと画策していた。佐々部監督には快諾してもらい、「森の小舎」主人役を升さんにやってもらおうと声がけしていた。脚本家も「若手の人で誰かいないかな」と野村さんに訊かれたので、自分が最も信頼している港岳彦氏を推薦させてもらった。ちなみに自分と野村プロデューサー、港氏は73年世代の「同期」でもある。自分にとっては「佐々部監督×野村プロデューサー×港岳彦脚本×升毅×早坂撮影」というこの上ない作品となるはずであった。自分の母方の姓は「廣田」といい、漂流ポストのある廣田半島の出自でもあり、そこにも因縁を感じていた。

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しかし、映画は実現出来なかった。

3.11東日本大震災の後、数年間は関係する作品が数多く撮られたけど、5年を過ぎたあたりから急激に冷えだし、むしろ避けられているような風潮すら感じられるようになった。そのような逆風のなか、野村Pは奮闘していたが(港氏も何度もホンを書き換えた)、2020年初頭に映画を断念することとなる。しかし野村Pもただでは起きない。「ドキュメンタリーにしようと思います。監督は私です」。

 

佐々部監督にも応援してもらっているという。野村P、いや監督は録音を兼任。スタッフは2人という超マイクロ編成となった。自分はいわゆる原一男監督に代表される「踏み越えるカメラ」的なドキュメンタリー作法が苦手。「撮られたくない被写体」と「嫌悪を無視して撮影する演出」との狭間でもがいた経験がある。なので被写体の嫌悪を感知したらカメラを向けたくない。その決定権を委ねてもらいたいので共同監督という立ち位置がほしいと野村監督に申し入れ、許諾してもらった。

 

当初自分が考えていたスタイルはフレデリック・ワイズマン監督のようなひたすら“そこにいる”カメラ。演出をほぼほぼ入れず森の小舎及び漂流ポストを訪れる人を静かに見守りたいと思っていた。ただそれにはかなりの撮影時間が必要で(なんなら春夏秋冬)、2人とはいえ交通費や滞在費もバカにならない。スポンサーとの関係上、作品の納品時期も決まっている。なので手紙を書いて送ってくる人や森の小舎の主人・赤川さんを主体にインタビュー構成とすることとなった。ただNHKなどテレビですでに取材されているので改めて映画という切り口の必然性に突き当たってしまう。1回目のロケ撮影を終え、早くも方向性を見失いつつあった。そこに3月31日が訪れるーー。

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佐々部監督の訃報を受け、途方に暮れている自分たちであったがドキュメンタリーは撮影していかなくてはならない。升毅さんにも声がけし、自分たちの“喪失感”をそのまま撮ることが恐らく今回の正回答なのだろうと思われた。前出のフレデリック・ワイズマンのような高尚な映画にはならないだろうが、自分たちの心情は真実だし、真実は誰かの心をうつだろう。佐々部監督の死がこの作品の道を開いた。自分には監督の声が聞こえてくる。

 

「なあ早坂ちゃん、だから僕がいないとダメなんだよ」

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