陰翳礼賛~chiaroscuro~

Cinematographer 早坂伸 (Shin Hayasaka、JSC) 

◾️『惡の華』の撮影について

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押見修造氏による『惡の華』は2009年から2014年にかけて「別冊少年マガジン」で連載された漫画である(全11巻)。シャルル・ボードレールの詩集からタイトルは取られており、実際詩集が重要なアイテムとなって出てくる。2013年にはロトスコープを使用したアニメにもなっており、知名度は高い。実写化の話は数多く持ち込まれていたようだが、押見氏が長年井口昇監督作品のファンであり、実際『惡の華』はその影響下で描かれており、井口監督に撮ってもらうのは長年の夢だったという。井口監督も原作を手にとって数ページ読んだ瞬間「これは映画にしなくてはならない。そのために映画監督になったのではないか」と感じたそうで、原作、原作者、監督の関係は、不思議な循環を伴う稀有な蜜月と言っていいだろう。ただし何度も映画化は頓挫を繰り返し、監督曰く6年の歳月を要した。脚本はアニメ『あの日見た花の名前を僕達はまだ知らない。』『心が叫びたがってるんだ。』の岡田麿里氏が担当している。

 『惡の華』は、鬱屈、反抗、葛藤、執着、背徳、自己愛――思春期特有の精神的彷徨を描いた青春漫画である。儚い逸脱に至る中学生編とその過去と向き合おうとする高校生編の二部に大別される。11巻に及ぶ原作のように感情の流れを丁寧に追う時間は映画にはない。それでも「原作の要素を最後までやりたい」というのが制作サイドの強い意図で、大胆なシーンバック、カットバックを用いた脚本となった。原作を全く知らなくても作品感に入り込める仕上がりになったが、その分イベントが盛りだくさんな脚本となった。

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 クランクインは2018年11月5日、クランクアップは11月28日。撮影日数は21日間。深夜の教室破壊、オープンナイターの雨降らし、秘密基地の放火、夏祭りの事件――とほぼ毎日何かしら大仕掛けナイターになるスケジュールとなった。しかも最近は珍しくなくなった“予備日なし”。低予算の現場においてカメラマンの重要な役割は、美しい画を撮ることが第一義ではなく、いかに「撮影の合理化」を進めることが出来るかにある。「徹夜はしない」、「テッペンは越えない」というのが自分の金科玉条で、今回も夜通し撮影予定だった個所以外はテッペン前後には撮影を終えることができ、結果的には順調な撮影だったといえる。

 井口監督は前もって絵コンテを準備する。言葉では伝えきれない不足分を補うためだと思われる。原作のビジュアルも尊重し、監督の絵コンテも存在するとなると、現場の進捗を阻害されると思われる方もいるかもしれない。“やりたいこと”を明確化することで、それを強調させるために前後の省略が可能になったり、監督もコンテに縛られていなかったので有用に活用することができたと思う。

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 高解像度で素材を撮りたかったので8KはオーバースペックではあったがRED EPIC-Wをメイン、サブをEPICにした。合同会社FOO代表、古屋幸一氏のご厚意に預かった。問題は同じRED CODEで撮影してもEPIC-WとEPICのトーンが全く合わないこと。センサーの製造過程やメーカーが異なることなどが原因と思われるが、アリフレックスが異なるカメラを使用してもルックが合うように作られているところを考えると、キャメラメーカーとしてコンセプトが全く異なる。高解像度を優先して追い過ぎてしまった―それが今のREDの退潮傾向の要因の一つと言えるだろう。ルック調整は最終的にグレーディングに持ち込むこととなった。レンズはCanonのCN-E30-105mm、135mm、ZeissC.P2の21、28、35、50、85mmを使用した。

 データマネージメント、グレーディングは自作の大部分を手掛けてもらっているGLADSAD社と代表の山口武志氏。衣装合わせ時にカメラテストを行い、そのデータを元に基本ルックを作成した。中学生編はやや青みがかったポジ風、高校生編は暖色系でノーマル気味のリアル感を目指した。撮影現場にDITはいないので、テストの画像をプリントアウトし台本に貼り付け、イメージしながら撮影を行った。

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 ドラマ『架空OL日記』という作品だけはSOFT F/Xを使用したが、ここ数年、ノーフィルター主義を通している。フィルターに依存せずルックをつくり、コントラスト、シャープネスを維持したい。少し撮影原理主義的で時代と逆行していると自己批判したりもするのだが、とあるインタビューでゴードン・ウィリスが「全てのディフュージョンフィルターを叩き割ってやりたい」と語っていたイメージが今も頭から離れない。CM助手をやっていた時に師事した写真家の影響も強いのかもしれない。シンプルに物事を見て、シンプルに撮影する―それが自分のスタンスとマッチしているのだろう。

 ただRAWで撮影されたイメージはLOGで撮影されたものより、硬い。11月の斜光とはいえ白シャツに当たる太陽の直射はクリップしてしまう。グレーディングでは想像以上に苦労し、一枚薄いディフュージョンを入れた方が調整は楽だったかもしれない、と今は思っている。

 

 前半のヤマ場となる深夜の教室破壊シーンは台本上で8ページ、カット的には70以上あった。晩秋の夜長とはいえ、連日の撮影であるし深夜を越えることは避けねばならない。ベランダのない教室なので、無理言ってハイライダーを二基用意してもらいライティングを行った。ソースライティングの立場から言えば、主光源は月明かりしかない。しかしブルートーンでこの核となるシーンを長々見せたくはなかった。キーライトにはライトアンバー(LEEフィルター#102)を入れてイエロートーンにし、ローベースにはスチールグリーン(#728)を入れた。カメラテスト時には他にディープアンバーやオールドスチールブルー(#725)などの組み合わせも試したが、人工的になり過ぎるきらいもあり、他のシーンとのマッチングやグレーディングでの調整幅も考慮し、上記のフィルターに決定した。教室という広い空間には当然ハイライトの当たる個所と当たらない個所がある。特に暗部に立つ人物には本来、丁寧なライティングをしなくてはならない。ただ自分はワンカットに時間をかけるよりも監督の欲しいカットを淀みなく撮影し、演出、芝居のテンションを重視したかった。ときには画が多少犠牲になったかもしれないがテンポよく現場を進められたと思う。

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  前半のラストに山中の遊園地前で主人公の春日(伊藤健太郎)、ヒロインの仲村(玉城ティナ)、マドンナの佐伯(秋田汐梨)の3人の魂とアイデンティティが激しくぶつかるシーンがある。台本で見ると7ページの雨降らし。しかも春日は上半身裸になり雨に打たれなければならず、佐伯役の秋田は15歳で、20時には上げなくてはならない。どうやってもそのままではスケジュール上成立しないので、雨降らしを限定し、佐伯の入るカットを抜いて撮らざるを得なかった。ただ役者のテンションは保たれており、伊藤及び玉城の演者としての底力を感じさせられるものだった。ライティングは時間短縮のためデッドスペースをつくってハイライダーを設置し1.2KのHMIでトップのキーライトを用いた。謂わばロバート・リチャードソンの代名詞的なことをやろうと思ったのだが、スパンディフューザーを入れると想定していたより光量が弱く、イメージ通りにはいかなかった。4Kもしくは2.5Kが最低でも必要だったと反省している。キーライトに関してはまさしく「大は小を兼ねる」と肝に銘じたい。

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イベントという意味では、夏祭りのシーンが文字通りのクライマックスだ。人混みの通りを歩くロングショットは実際の夏祭りではなく、11月の“桐生えびす講”を利用して撮影した。コートや上着を着ている人もいるが望遠レンズで圧縮して撮影しているので気にならないと思う。春日と仲村が事件を起こす祭りの櫓は寺の敷地を拝借して再現した。寒風吹きすさぶなか、平然と水をかぶって芝居をした2人の役者には頭が下がった。日本にもこんな立派な若手役者たちがいるというのが心底嬉しい。このシーンの撮影は2日間で、初日にモブシーンをメインに撮影した。2日目は主に主人公の二人向けでエキストラの方はほとんど画に入ることはないのだが、数多くの方が集まってくださって芝居の相手をしてくださった。深夜にいたるまで撮影に付き合ってくださり、ただただ感謝の念しかない。

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映画のラストは高校生になった春日が常磐(飯豊まりえ)という女性と海辺の町に引っ越した仲村に会いに行き、過去を問いただす。激情のままに春日は仲村を砂浜に叩きつけ、仲村は春日を海に突き飛ばす。この日は当初、銚子市で別のシーンを撮影予定だったが、晴れるということで急遽、館山市の白浜に向かう。前日から泊まっていた銚子はどしゃ降りの雨だったので半信半疑。同じ千葉県内とはいえ北端と南端、3時間以上を要して現地に到着したときには見事快晴になっていた。段取りをし、昼食休憩の後、14時ころから撮影を開始する。カット数34、正味3時間弱での勝負である。2カメを駆使し、ハイテンポで撮影を進める。撮りきれるか、夕陽は出るか、海に入るシーンを事故なくうまく撮れるか――。不安に駆られたが結果的には時間が余るほど順調に撮影は進捗し、美しい夕陽も捉えることが出来た。薄暮のシーンもギリギリまで粘って最良の光のバランスを待った。今にして思えば実に天候に恵まれた作品だったと思う。

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がむしゃらに撮影を行った作品だが、少し普段の思考と異なったのは、広い観客のターゲットをあえて想定しなかったことだ。特に原作者、押見氏を唯一の観客と見なし取り組んだ。一人に深い感銘を与えることが出来れば、それは万人に通じるに違いない。原作の漫画は架空の町が舞台だが、桐生市をモチーフにしてある。映画も可能な限り同じ場所で撮影した。このような細部のリアリティが作品に寄与していることを信じている。

2018年は映画の企画がいくつも流れ、個人的には苦戦した1年だった。ある作品が飛んでポツンとスケジュールが空いた時期に来た話が『惡の華』だった。世の中には不思議なめぐり合わせというものがある。使い古された言葉だが、“一期一会”。一つひとつの作品、一人ひとりのスタッフ、キャストとの出会いをいかに大切にできるかが映画キャメラマンとしての最大の資質なのかもしれない。このような作品に携われるチャンスを下さった監督、プロデューサーにこの場を借りて御礼申し上げます。

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◼️『約束のステージ 〜時をかけるふたりの歌〜』撮影について

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  佐々部清監督とはこれで通算5回目のコンビになる。撮影スタイルが予め分かっているということは不安要素が少ない。佐々部監督は予めカット割りを出しておく。このカット割りの精度が凄い。カメラ尻(通称ひき尻=カメラを置くスペース)やライト、美術チェンジまで考慮されている。さらにそのカット割りに引きずられ過ぎない。芝居を見て「違う」と思った瞬間、スパッと捨て去る。監督のキャリアもさる事ながら助監督時代の経験則が多分に生かされている。テイク数も最低限だ。佐々部組に初めて出る役者が「もう終わり?」と言いたげな表情をすることを度々目にする。深夜まで撮影が及ぶことはない。キャストもスタッフも余力を残して翌日に臨める素晴らしさは強調してし過ぎることはない。

  ただしその分、技術スタッフはもたもたしていられない。監督が本番行きたいと思った瞬間に行けるように努力する。何かしらの理由で待ちになった場合は、その理由を明確に伝えておく。当たり前と言えばその通りだが、現場の推進力を損なわないために声を出していくことは大切だと思う。

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  カメラは弊社のSONY FS7mkIIを2台とジンバル用にもう一台、計3台を用意した。いつものようにノーフィルター。レンズはContaxレンズを中心に、SIGMAのシネレンズ、Nikonのスチールレンズなどを使用した。ジンバルはDJI社のRONIN2。カラースペースはS-LOG3.Cine。グレーディングは東映デジタルセンターでFUJIのLUTをベースに調整した。舞台は現代の青森とタイムスリップした先の昭和50年の東京。現代の方は寒風吹き荒む感じを出したくてブルートーンで彩度を落としている。昭和50年のルックは監督から総天然色映画のようなものを求められた。クレイジーキャッツの映画などを参考にテスト時にLUTを作成した。が、DITなどは付かないため、現場ではRec.709のLUTを当てて判断した。グレーディングは1日でやる予定だったのであまり複雑な工程を踏みたくはなく、ワイプなども最小限にとどめた。フェイストーンを最優先に作業を行ったため、監督のイメージした原色バリバリのトーンよりはだいぶ落ち着いているかもしれない。

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  時代物なだけに美術部の労力が画にそのまま反映される。最大の問題は昭和50年の上野駅をどこで再現するかだった。撮影可能な石造りの建造物を探して制作部が駆け回り、群馬県庁の昭和庁舎内で撮影を行った。実際の上野駅のスケール感を出すことは出来ないが、ロケハン時にアングルを限定することで美術部にフレーム内を徹底的に飾ってもらった。当時は電光掲示板などなく札がぶら下がっていた風景を懐かしくカメラに収めた。

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  バーのセットは東映撮影所内に建てた。実際の物件よりやや広く作られていてその空間描写をどのように行うかが思案しどころだった。実際より広い空間でワイドレンズを使用するとさらに空間が広がってしまう。かと言って長玉を使用するとカメラの引きじりを画に感じてしまいセット感が出てしまう。なのでワイド端のレンズは28mmとし、それ以上のワイドレンズの使用を禁じ(但し2カットほど例外が出た)、セットの壁を下げてもらって実際に壁が存在しうる場所ギリギリでカメラを構えた。時には壁に穴を開けてもらってそこからレンズを突き出して撮影することもあった。

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  撮影自体は非常にスムーズに進捗した。トラブルらしいトラブルもなかったが、自分自身がインフルエンザに罹患し、現場を2日ほど休まなくてはならなかったことが心残りだ。常日頃体調管理をしっかり行うことが撮影の第一歩だと肝に銘じた。土屋太鳳さんはじめ百田夏菜子さん、向井理さん、矢田亜希子さん、升毅さん、石野真子さん、皆それぞれのキャラクターを咀嚼し見事に演じていたと思う。タイムスリップが絡むファンタジー要素のあるドラマだが、昭和歌謡を懐かしむもよし、アイドルドラマとして観るもよし。幅広い年代の方に観てもらえる作品に仕上がっていると思います。

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◾️謹賀新年

あけましておめでとうございます。

今年もよろしくお願い致します。

「キアロスクーロ撮影事務所」も法人化に相成り、株式会社として本格始動致します。

もともとは「自主映画や低予算作品でもキチンとした機材、人材で撮影を行っていく」ということを念頭に設立した事務所。ほぼ非営利組織と言えるものでした。ただ時間と共に人も増え、機材も増え、気づけば自分が使わない機材のために私財を投じ、膨大な経費がかかるようになっていました。カメラも陳腐化のスピードが高速化し、2年に一度は見直していかないと時代の趨勢に置いていかれるようになりました。機材の低価格化は喜ばしいことなのですが、映画やドラマが主のウチのような事務所では機材レンタルは高くつき、結局無理してでも購入することが多くなりました。非営利組織では、立ち向かえない状況になったのです。

  幸い、この期間に数多くの作品を手がけさせていただき実績だけは積み重ねることが出来ました。逆に言えばそれしかないのも事実です。豊富な資金もありません。ただ実績はお金では買えません。時間も必要です。その唯一無二の武器を信じて闘っていくほかありません。

  商売の基本である「何をどのような形でコンシューマーに届けることが出来るか」を常に肝に銘じます。短期的にはその対象はプロダクションになるのですが、長期的には観てくださる方々です。その双方に訴求できるような撮影を行なっていく所存です。

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今年の初めに一昨年の秋に撮影した2作品が公開されます。『blank13』と『生きる街』です。斎藤工さん、榊英雄さん、いずれの監督も役者であり、双方の作品にお互い出演しているという、やや不思議な経験をさせて頂きました。全く異なる内容の2作品ですが、自分らしいルックは作れたと思っております。撮影の詳細はまた違う機会に書こうと思っております。

  フィルム撮影と異なり可視化できる現在、カメラマンが居なくても映画を撮影することが出来ます。実際、ソダーバーグやロドリゲスのように監督自ら撮影する人も少なくありません。それでも我々が存在する意義を常に念頭に置き、自らを洗練させていくほかないのです。我々の商品は「美意識」に他ならないのです。

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  “映画の街”調布の古刹「深大寺」と古社「布多天神社」の札を元朝参りで頂いて来ました。何か今年はいい年になりそうな気がしております。

 

  今年一年もどうか宜しくお願い致します。

 

平成30年元日

◾️NGT48『世界はどこまで青空なのか?』MVの撮影について

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https://youtu.be/qGBvujY6bjg

  MVは年に1、2本程度手掛けるかどうかで、正直畑違いだと認識している。撮影助手の頃は数多くのMV現場をこなしてきたがカメラマンになってからは“映画的なもの”を求めてくる場合以外にはほとんど声が掛からない。知人も少ない。山戸結希監督とは面識がなかったのだが1年くらい前から何度か仕事のオファーを頂いていた。タイミングが合わず立て続けに断らざるを得なかったが、今回はたまたま入る予定だった作品がズレ、スケジュールが空いた箇所で喜んで受けさせてもらった。が、ほぼ経験のないアイドルもののMVということでやや戸惑った。まずメンバーの顔と名前を覚えることから始まり、山戸監督の作品を見て、関連するMVを鑑賞、検討した。監督と初めて会うのも新潟に行くロケハン当日の新幹線。初対面の制作スタッフ、初対面の監督と慣れないカメラマン、完全アウェーの気分で新潟に向かう。48系のMVの作り方は自分の知っているものともまた異なり、新鮮この上ない。山戸監督には、なぜ自分を指名してくれたのかを尋ねる。聞けば2014年公開のオムニバス『放課後ロスト』内の『倍音』(大久明子監督)という作品が好きで劇場で見たときに震えた、という。

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放課後ロスト予告編  https://m.youtube.com/watch?v=futjK1NpuUs 

  この作品は、上下を意図的に空けることで“空間”を意識させている。さらにアスペクトレシオを今ではマイナーなヨーロピアンビスタ(1:1.66)を採用することで効果を狙った。そんなにヒットも話題にもなっていない作品を非常に評価してくれていることは作り手として非常に嬉しかった。フィルターで効果を狙う撮影はここ数年間、ほぼ行なっていない。アイドルMVを見ると大抵フィルターが入っている。参考にはしたが、自分の美意識を騙すことは出来ないし自分らしくもないので『放課後ロスト』同様、SOFT F/Xを薄く入れることのみとした。

  カメラは汎用性の高いARRI AMIRA。自分の手がける予算規模の作品では使える機会は少ないけど、感覚的に馴染みがいい。一時のRED系の勢いに対し、ARRI勢がユーザーの支持を得て盛り返してるのは当然と言える。ハイレゾのみが“高画質”の要素ではない。

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  Bカメには、映画系よりもコマーシャル系のカメラマンがいいと考え、同級生の橋本太郎に参加してもらった。会うこと自体が15年ぶりだったけど、互いにブランクを感じさせず楽しい撮影となった。映画学校の卒業制作『青〜chong〜』は、監督が李相日(『悪人』『怒り』)、主演が眞島秀和、カメラマンが自分、チーフ助手が山田康介(『シン・ゴジラ』『ホットロード』)、セカンド助手が橋本、照明が飯村浩史(『岸辺の旅』)というチームだった。皆第一線で活躍していて、今となってはスゴいメンバーになっている。

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  現場では、台本とショットリストに則って撮影していく。 しかし“思いつき”も採用し、瞬発力を発揮した現場だったと思う。山戸監督の“語彙力”には目をみはるものがあり、若い人たちに支持を受ける理由が分かる。一度、しっかり長編で組んでみたい。

  反省点としては、編集の感じをキチンと把握しきっていなかったこと。MVはいわば“いいとこ使い”で良い。映画系の人間はカットの初めから終わりまで使えるようにきっちり撮影してしまう。ここまでテンポの早いカッティングならもっとカメラをぶん回しても良かった。でもメインカメラでそれをやるとヤケドすることもある。葛藤を抱えた分、Bカメの重要度は高かった。

  新潟万代シティ、山古志村と、濃厚な2日間の撮影だった。雨の可能性もあったがどうにか回避。ドローンも無事に飛ばせた。パイロットは今回初めて組ませてもらったヘキサメディアの遠藤氏。非常に卓越したテクニックで瞬時にこちらの意図を汲んでもらえた。間違いなく今まで組んだドローンパイロットの中でナンバーワンの腕前。長年行ってみたかった山古志に来れたことも感慨深い。

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  ミュージックビデオ、特にアイドル系のものは難しさを感じる。特定のファンに向けるのか、一般に訴求させるのか。恐らく両軸を見据えることが最良なのだろうけど、なかなかそのビジョンを持ち得ない。戸惑いながらも最終的には自分の美意識のものに落とし込めた。たまにはこういう撮影も刺激的に感じる。

 

 

◾️『報復〜かえし〜』の撮影について

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  この作品の仮題は『罪の追憶』というものが付かれていた。どことなく韓国映画を彷彿とさせるタイトルである。劇場用作品ではあるがDVDパッケージ2本にするというのは前段階から決まっていたので、所謂“Vシネマ”の枠組みだ。1週間程度で3時間近い作品を撮影する、かつてよく手掛けた低予算体制、腕がなる思いだ。内容はしかもフィルムノワール風。同級生を殺めてしまい出所してきた青年と娘を殺された父親の対峙。田舎を舞台にし、そこの悪徳警官、ヤクザなどが絡んでくる。自分のイメージは完全に“雑貨店のドストエフスキー”ことジム・トンプソンの世界だった。自分指名というわけではなくウチの事務所へのオファーだったが、これは自分がやらなければならないジャンルの作品だと思い、自ら手を挙げた。

  膨大な分量の割に撮影照明予算はあまりない。しかもスチールも撮影しなくてはならない。そこで変則的な体制を考えた。カメラは低照度に強いSONY α7sIIをメインカメラに据え、サブカメラにRX10IIIというレンズ一体型デジタルスチルカメラ。要は2カメで撮影し、状況に応じてスチールに切り替えていこうという作戦である。メインカメラは自分が、サブカメラをウチの吉田淳志が担当し、助手はフォーカスの岡崎孝行1人。サブカメラのフォーカスは吉田が自分で行う。照明は大庭郭基氏1人のみ。これは基本的にアヴェイラブルでいきますよ、という意思表明である。照明部を組んでしまうとある程度キチンとしたライティングを組まなくてはならなくなり、スケジュール消化が厳しくなるのが予想された。LEDのライトパネルを複数台とHMI575を2台、これでほとんど全てである。混載し、ヨーイドンで撮影照明機材を下ろすというスタイル。撮影部、照明部の隔てをなくす自主映画的スタイルとも言える。この体制にした理由が実はもう一つある。撮影時期は極寒の1月。インフルエンザなどにカメラマンである自分が罹り外出不可になった場合、撮影が中断してしまう。カメラマンのバックアップということも考慮しなくてはならなかった。実際、ある日吐き気が収まらず、半日ほど現場を吉田に任せる場面があった。撮影のリスクヘッジという考え方も大切かもしれない。

  異なるカメラ2台というのは反省点もあった。クランクイン前にグレーディングテストなどを行い、2種類のカメラの親和性を確認はしていたのだが、極度に悪い条件では行っていなかった。暗部の階調や粒状性に大きな差が出てしまった。やはり同じカメラを2台用意すべきだったと大いに反省した。

  RONINも使っていたのだが、挙動がおかしくなり、重要なシーンで使用が出来なくなった。あとで購入先で調べたところ、初期化すれば治ることを知る。トラベルシューティングが出来ていなかったことが悔やまれる。助監督経験が豊富な山口監督は「モニターは必要ないです」というスタイルを採ってくれたからこそのこの体制であったが、モニターなしの弊害が一箇所出てしまった。センサーに付着したチリの写り込みに気づかなかったのである。これは編集時に初めて気づき暗澹としてしまった。グレーディング等で誤魔化しはしたが撮影部としてはかなり痛いミスケースとなった。確認に次ぐ確認を怠ってはいけない。

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  主演は佐野岳津田寛治(敬称略)。それに木下美咲、近藤芳正内田理央、戸塚純貴、小宮有紗榊英雄、森本のぶ、ラサール石井ガダルカナル・タカ。実に多彩でモザイク模様のキャスティング。矮小で利己的なキャラクターのアンサンブルだが、いずれも粒が立っているのは脚本がいいためか、演出が優れているのか、演者の技術の賜物か。主演の2人のキャラクターの陰鬱さの割に全体のトーンは決して暗くはない。極寒の中、薄着で通してくれた主演の2人には本当に感謝したい。撮影後、佐野岳さんに寒さを顔に出さないことを褒めたら、「めちゃくちゃ寒かったっすよ!」とのこと。メソッド的に役づくりをしていた。彼は運動神経の良さで知られるが、今回はそのようなシーンは全くない。新たな面を見てもらえたらと思う。津田さんも役に入りきってテストからいつも全力投球。相当肉体的精神的に負担を掛けたと思う。彼らの本気の芝居を堪能してもらえたらと思う。

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カメラ:SONY α7sII、RX10III

撮影:早坂伸、吉田淳志   撮影助手:岡崎孝行   照明:大庭郭基   グレーディング:山口武志(GLADSAD)

 

 

◾️連続ドラマW『沈黙法廷』の撮影について

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  テレパックに所属する村上牧人と東田陽介監督とは一昨年のドラマW『誤断』以来のコンビ。一定の信頼感がある現場はスッと中に入りやすい。プロデューサーからは独特のトーンを作ってほしいというオーダーがあり、『誤断』とも異なるルックを追及した。予算的に厳しい部分もあったがどうしてもアリフレックス社のALEXAを使いたかった。ALEXA MINIなどの新機種は無理であるがクラシックALEXAはコマーシャルの現場では使われなくなっているので特殊映材社から格安で借りた。アリフレックス社のカメラの特性は新機種も旧機種も同じ様なトーンで撮れるというところ。元々フィルムユーザーを想定して作られているのでラチチュードを最大限に活かすように設定されているのを感じる。デジタルが表現を苦手とする高輝度からクリップするまでのナチュラルさは自分の知るところ他のメーカーの追随を許さない。ファインダーに拘るところもフィルムカメラメーカーの矜持だ。液晶モニターの問題点は実際撮影している光軸とカメラマンの目線角度の差違が大きいところだ。ファインダーだと差異を最小にでき、右目で撮影画面を、左目で周りの環境や役者のフレーム外の動きを視認できる。フィルムカメラの時は当たり前だったことだが今となっては却って新鮮に思えてしまう。アレクサのデメリットはその重量にある。デジタルシネマとは思えない重さ。その重量感も画には映るもので、今回の法廷劇のルックには合うと捉えることにした。本来このような撮影の場合、ズームレンズと単焦点レンズを揃えるのだが、予算の都合と自分と村上監督の趣向を考え、全て単焦点レンズにした。その代わり18mmから180mmまでのツァイス・ファーストレンズを全て発注した。大正解だったのがマイナーなディスタンスの65mm。恐らく今回最も使用したレンズだ。ナメの画やバストショットなどに威力を発揮する。50mmほど情報過多ではなく、85mmほど過小でもない。実はこのレンズを使うためにALEXAにした部分も実はある。写真はアレクサと自作ローアングルプレート。

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   刑事の捜査シーンなどで流麗なカメラワークが必要なのはホンの段階で分かっていたので、ステディカムオペレーターを呼ぶよりも軽量な別カメラとジンバルで対応することにした。自前のSONY α7sIIに助手の岡崎が持っていたコンタックス・ツァイスレンズを変換して取り付け、RONIN M に載せた。内部収録なのでビットレートが少なくメインカメラのALEXAとの親和性が取れるか不安であったが事前テストである程度いけるという確証は得ていた。

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   現場DITにGLADSAD社の阿部弘明氏。基本LUTをクランクイン前に作り、現場で当ててモニター出し。状況に応じて現場グレーディングを行った。無理を言ってビデオアシストソフトウェアQTAKEも出してもらい、 効率的に撮影データを整理していった。いつでも撮影済みのクリップを読み出すことが可能で様々な確認事項に力を発揮した。ただそれが当たり前のようになって有り難みを皆が感じなくなってきてしまったような気はしたが。

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  GLADSAD社には毎回ワークフローチャート作成を依頼している。撮影前にポスプロ担当者に一堂に会してもらって打ち合わせし、実際に流れをテストして作成する。今回は以下の通り。撮りは23.976fpsで、納品が59.94i。どこでどう変換するかが議論となった。

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  GLADSAD社でコピー後Media Encoderで29.97のオフライン用データを書き出し、オフライン作業場で59.94に変換してもらった。グレーディングはタイムラインをエアで反映出来るようにしたため効率的に作業することができた。

  撮影自体はシンプルに行った。リアルなライティング、ノーフィルター。台本に則り芝居を切り取る。今回は永作博美さん、市原隼人さん、田中哲司さん、杉本哲太さん、甲本雅裕さん等、実力のある役者ばかりだったので出発するアベレージ点が高くやり易かった。一方で演出・撮影側の準備が足りていないと露見することとなり緊張感があった。天候不順でスケジュールを上手く消化出来ないところもあったがスムーズにこなせたとは思っている。

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  角川大映スタジオに法廷セットを組ませてもらった。自分の手掛ける作品でこのような立派なセットを建ててもらうことは滅多にない。建て込み時、最初にライティングを組んだら光量不足。修正したら光量オーバー。3回目でようやくいいバランスに。もう少しカンを研ぎ澄ませたいところ。光の拡散を抑えるエッグプレートが効力を発揮した。照明の田島慎氏のアイディア。感謝。

 『十二人の怒れる男』『評決』『Q&A』等、司法を多く題材にしたシドニー・ルメット監督作品が自分が映画界に入るきっかけのひとつだった。矢田部弁護士には『評決』のポール・ニューマンが透けて見える気がする。ルメットは司法制度に人間の良心が宿ると思っていたのではないだろうか。矛盾や葛藤があるにせよ全能ではない人間が産み出した最も尊いシステム。人が人を裁く不確実さにおいて良心のみが拠るところだ。民意をより反映させるために裁判員裁判制度は始まった。が一般人である裁判員は世論の影響を受けやすい。いかに心象操作に民衆が脆いかは松本サリン事件や東電OL殺人事件で我々も身につまされている。裁判制度により多くの者が興味を持つこと、それしか冤罪をなくす方策はない。『沈黙法廷』を撮影してそう思った。 

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【撮影データ】

カメラ:ARRI ALEXA plus (特殊映材社)

レンズ:Zeiss ファーストレンズ 18、20、25、28、35、40、50、65、85、100、135、180mm(特殊映材社)

撮影助手:岡崎孝行、渋谷浩未、永仮彩香、水上舜

DIT:阿部弘明(GLADSAD)

グレーディング:山口武志、田口朋美(GLADSAD)

特機:グリフィス