陰翳礼賛~chiaroscuro~

Cinematographer 早坂伸 (Shin Hayasaka、JSC) 

◾️『惡の華』の撮影について

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押見修造氏による『惡の華』は2009年から2014年にかけて「別冊少年マガジン」で連載された漫画である(全11巻)。シャルル・ボードレールの詩集からタイトルは取られており、実際詩集が重要なアイテムとなって出てくる。2013年にはロトスコープを使用したアニメにもなっており、知名度は高い。実写化の話は数多く持ち込まれていたようだが、押見氏が長年井口昇監督作品のファンであり、実際『惡の華』はその影響下で描かれており、井口監督に撮ってもらうのは長年の夢だったという。井口監督も原作を手にとって数ページ読んだ瞬間「これは映画にしなくてはならない。そのために映画監督になったのではないか」と感じたそうで、原作、原作者、監督の関係は、不思議な循環を伴う稀有な蜜月と言っていいだろう。ただし何度も映画化は頓挫を繰り返し、監督曰く6年の歳月を要した。脚本はアニメ『あの日見た花の名前を僕達はまだ知らない。』『心が叫びたがってるんだ。』の岡田麿里氏が担当している。

 『惡の華』は、鬱屈、反抗、葛藤、執着、背徳、自己愛――思春期特有の精神的彷徨を描いた青春漫画である。儚い逸脱に至る中学生編とその過去と向き合おうとする高校生編の二部に大別される。11巻に及ぶ原作のように感情の流れを丁寧に追う時間は映画にはない。それでも「原作の要素を最後までやりたい」というのが制作サイドの強い意図で、大胆なシーンバック、カットバックを用いた脚本となった。原作を全く知らなくても作品感に入り込める仕上がりになったが、その分イベントが盛りだくさんな脚本となった。

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 クランクインは2018年11月5日、クランクアップは11月28日。撮影日数は21日間。深夜の教室破壊、オープンナイターの雨降らし、秘密基地の放火、夏祭りの事件――とほぼ毎日何かしら大仕掛けナイターになるスケジュールとなった。しかも最近は珍しくなくなった“予備日なし”。低予算の現場においてカメラマンの重要な役割は、美しい画を撮ることが第一義ではなく、いかに「撮影の合理化」を進めることが出来るかにある。「徹夜はしない」、「テッペンは越えない」というのが自分の金科玉条で、今回も夜通し撮影予定だった個所以外はテッペン前後には撮影を終えることができ、結果的には順調な撮影だったといえる。

 井口監督は前もって絵コンテを準備する。言葉では伝えきれない不足分を補うためだと思われる。原作のビジュアルも尊重し、監督の絵コンテも存在するとなると、現場の進捗を阻害されると思われる方もいるかもしれない。“やりたいこと”を明確化することで、それを強調させるために前後の省略が可能になったり、監督もコンテに縛られていなかったので有用に活用することができたと思う。

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 高解像度で素材を撮りたかったので8KはオーバースペックではあったがRED EPIC-Wをメイン、サブをEPICにした。合同会社FOO代表、古屋幸一氏のご厚意に預かった。問題は同じRED CODEで撮影してもEPIC-WとEPICのトーンが全く合わないこと。センサーの製造過程やメーカーが異なることなどが原因と思われるが、アリフレックスが異なるカメラを使用してもルックが合うように作られているところを考えると、キャメラメーカーとしてコンセプトが全く異なる。高解像度を優先して追い過ぎてしまった―それが今のREDの退潮傾向の要因の一つと言えるだろう。ルック調整は最終的にグレーディングに持ち込むこととなった。レンズはCanonのCN-E30-105mm、135mm、ZeissC.P2の21、28、35、50、85mmを使用した。

 データマネージメント、グレーディングは自作の大部分を手掛けてもらっているGLADSAD社と代表の山口武志氏。衣装合わせ時にカメラテストを行い、そのデータを元に基本ルックを作成した。中学生編はやや青みがかったポジ風、高校生編は暖色系でノーマル気味のリアル感を目指した。撮影現場にDITはいないので、テストの画像をプリントアウトし台本に貼り付け、イメージしながら撮影を行った。

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 ドラマ『架空OL日記』という作品だけはSOFT F/Xを使用したが、ここ数年、ノーフィルター主義を通している。フィルターに依存せずルックをつくり、コントラスト、シャープネスを維持したい。少し撮影原理主義的で時代と逆行していると自己批判したりもするのだが、とあるインタビューでゴードン・ウィリスが「全てのディフュージョンフィルターを叩き割ってやりたい」と語っていたイメージが今も頭から離れない。CM助手をやっていた時に師事した写真家の影響も強いのかもしれない。シンプルに物事を見て、シンプルに撮影する―それが自分のスタンスとマッチしているのだろう。

 ただRAWで撮影されたイメージはLOGで撮影されたものより、硬い。11月の斜光とはいえ白シャツに当たる太陽の直射はクリップしてしまう。グレーディングでは想像以上に苦労し、一枚薄いディフュージョンを入れた方が調整は楽だったかもしれない、と今は思っている。

 

 前半のヤマ場となる深夜の教室破壊シーンは台本上で8ページ、カット的には70以上あった。晩秋の夜長とはいえ、連日の撮影であるし深夜を越えることは避けねばならない。ベランダのない教室なので、無理言ってハイライダーを二基用意してもらいライティングを行った。ソースライティングの立場から言えば、主光源は月明かりしかない。しかしブルートーンでこの核となるシーンを長々見せたくはなかった。キーライトにはライトアンバー(LEEフィルター#102)を入れてイエロートーンにし、ローベースにはスチールグリーン(#728)を入れた。カメラテスト時には他にディープアンバーやオールドスチールブルー(#725)などの組み合わせも試したが、人工的になり過ぎるきらいもあり、他のシーンとのマッチングやグレーディングでの調整幅も考慮し、上記のフィルターに決定した。教室という広い空間には当然ハイライトの当たる個所と当たらない個所がある。特に暗部に立つ人物には本来、丁寧なライティングをしなくてはならない。ただ自分はワンカットに時間をかけるよりも監督の欲しいカットを淀みなく撮影し、演出、芝居のテンションを重視したかった。ときには画が多少犠牲になったかもしれないがテンポよく現場を進められたと思う。

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  前半のラストに山中の遊園地前で主人公の春日(伊藤健太郎)、ヒロインの仲村(玉城ティナ)、マドンナの佐伯(秋田汐梨)の3人の魂とアイデンティティが激しくぶつかるシーンがある。台本で見ると7ページの雨降らし。しかも春日は上半身裸になり雨に打たれなければならず、佐伯役の秋田は15歳で、20時には上げなくてはならない。どうやってもそのままではスケジュール上成立しないので、雨降らしを限定し、佐伯の入るカットを抜いて撮らざるを得なかった。ただ役者のテンションは保たれており、伊藤及び玉城の演者としての底力を感じさせられるものだった。ライティングは時間短縮のためデッドスペースをつくってハイライダーを設置し1.2KのHMIでトップのキーライトを用いた。謂わばロバート・リチャードソンの代名詞的なことをやろうと思ったのだが、スパンディフューザーを入れると想定していたより光量が弱く、イメージ通りにはいかなかった。4Kもしくは2.5Kが最低でも必要だったと反省している。キーライトに関してはまさしく「大は小を兼ねる」と肝に銘じたい。

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イベントという意味では、夏祭りのシーンが文字通りのクライマックスだ。人混みの通りを歩くロングショットは実際の夏祭りではなく、11月の“桐生えびす講”を利用して撮影した。コートや上着を着ている人もいるが望遠レンズで圧縮して撮影しているので気にならないと思う。春日と仲村が事件を起こす祭りの櫓は寺の敷地を拝借して再現した。寒風吹きすさぶなか、平然と水をかぶって芝居をした2人の役者には頭が下がった。日本にもこんな立派な若手役者たちがいるというのが心底嬉しい。このシーンの撮影は2日間で、初日にモブシーンをメインに撮影した。2日目は主に主人公の二人向けでエキストラの方はほとんど画に入ることはないのだが、数多くの方が集まってくださって芝居の相手をしてくださった。深夜にいたるまで撮影に付き合ってくださり、ただただ感謝の念しかない。

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映画のラストは高校生になった春日が常磐(飯豊まりえ)という女性と海辺の町に引っ越した仲村に会いに行き、過去を問いただす。激情のままに春日は仲村を砂浜に叩きつけ、仲村は春日を海に突き飛ばす。この日は当初、銚子市で別のシーンを撮影予定だったが、晴れるということで急遽、館山市の白浜に向かう。前日から泊まっていた銚子はどしゃ降りの雨だったので半信半疑。同じ千葉県内とはいえ北端と南端、3時間以上を要して現地に到着したときには見事快晴になっていた。段取りをし、昼食休憩の後、14時ころから撮影を開始する。カット数34、正味3時間弱での勝負である。2カメを駆使し、ハイテンポで撮影を進める。撮りきれるか、夕陽は出るか、海に入るシーンを事故なくうまく撮れるか――。不安に駆られたが結果的には時間が余るほど順調に撮影は進捗し、美しい夕陽も捉えることが出来た。薄暮のシーンもギリギリまで粘って最良の光のバランスを待った。今にして思えば実に天候に恵まれた作品だったと思う。

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がむしゃらに撮影を行った作品だが、少し普段の思考と異なったのは、広い観客のターゲットをあえて想定しなかったことだ。特に原作者、押見氏を唯一の観客と見なし取り組んだ。一人に深い感銘を与えることが出来れば、それは万人に通じるに違いない。原作の漫画は架空の町が舞台だが、桐生市をモチーフにしてある。映画も可能な限り同じ場所で撮影した。このような細部のリアリティが作品に寄与していることを信じている。

2018年は映画の企画がいくつも流れ、個人的には苦戦した1年だった。ある作品が飛んでポツンとスケジュールが空いた時期に来た話が『惡の華』だった。世の中には不思議なめぐり合わせというものがある。使い古された言葉だが、“一期一会”。一つひとつの作品、一人ひとりのスタッフ、キャストとの出会いをいかに大切にできるかが映画キャメラマンとしての最大の資質なのかもしれない。このような作品に携われるチャンスを下さった監督、プロデューサーにこの場を借りて御礼申し上げます。

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