陰翳礼賛~chiaroscuro~

Cinematographer 早坂伸 (Shin Hayasaka、JSC) 

◼︎『コクウ』(R-18版題『ほくろの女は夜濡れる』)撮影について

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榊英雄監督『コクウ』が7/9から、「OP PICTURES+フェス」の一環でテアトル新宿にて上映が始まる。同フェスは女性などピンク映画に馴染みのない層にも訴求できるようR-15版を上映するもので今年4回目。非常に面白い試みで、気づけば4年連続で自作も上映されている(竹洞哲也監督『誘惑遊女 ソラとシド』(ザオパン・ツェン名義)、榊英雄監督『オナニーシスター』、『裸のアゲハ』『裸の劇団』二部作)。ギャラに見合うことのない、ピンク映画を手掛ける理由はいくつか挙げられるが、限られた予算、時間、空間の中で描ける最もドラマティックでドラスティックなものがSEXであるということに尽きる。未だ一定の俳優(特に女優)にとって「脱ぐ」「脱がない」は大きな問題であり、事務所にとってはジョーカー的な意味合いも持つ。早々にその枷を外した女優が心意気を評価されることも多いが広告系の仕事に影響がないとは言い切れない。自分の体験であるが、江川達也監督『東京大学物語』を手がけたあと、ある仕事をキャンセルされたことがある。『東京大学物語』は“脱ぎ”がないのにも関わらず、出資がソフト・オン・デマンドだったことが引っ掛かったようだ。ロケハンもした後のキャンセルは、フリーの撮影者にとって深い傷痕となった。その後クレジットを気にすることにし、Vシネなどエロ系の仕事は名前の中国語読み“ザオパン・ツェン”名義を使用することにした。その仕事を受ける際にプロデューサー、監督に名義の使用を相談して許可された場合のみ受けることとした。初めてピンク映画を手掛けた『誘惑遊女』もザオパン名義だった。翌年、コンビを組むようになっていた榊英雄監督からピンク映画の誘いを受ける。監督は名義を変えずにやるという。一瞬悩んだのも事実だが、もはや新人カメラマンでもないし、それで仕事が来なくなるのならその人たちとは縁がなかったと考えることとし、本名でクレジットした。それが『オナニーシスター』である。作品の出来にも自分の仕事にも誇りを持っているのでむしろ別名義にしなくて良かったと今では思っている。

 

役者は文字通り裸を曝け出す。曝け出すことで何かを喪うかもしれない。でも得るモノがあると信じるからこそ参加しているのだろう。ならば撮影者としてはそのポテンシャルを引き出すことが仕事である。美しいものはより美しく、禍々しいものはよりおぞましく。榊監督と組んだ前3作がコメディ色が強く、どうしても絡みにエロチシズムを出し切れなかったのが反省点としてあった。次、ピンク映画を手掛けるのなら、シリアスなものをやりたいと伝えたが監督も同じ想いだったようだ。

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  父の借金を売春し返済する朋美は事後に客にホクロを書いてもらう。そのホクロをボールペンで刺し、定着させていく。自傷行為かつ自らの身に刻み込ませる行為の裏には父親との暗い過去があった。大学時代の先輩と再会した朋美は順調に交際を進めるがホクロだらけの体では関係を結ぶことが出来ない。ついに借金を返済した朋美はホクロ除去手術を受け、綺麗な体を取り戻し、プロポーズを受ける。結婚の報告をしに久しぶりに実家に戻る朋美であったがーー。

  榊監督のアイディアを三輪江一が脚本の形にした。全編を通して笑いはほとんどない。ホンを読んだ時に頭に浮かんだイメージはキム・ギドクサマリア』。一見不可解な少女の行動が身につまされて感じられる、そのような朋美の感情を丁寧になぞることに集中した。撮影日数3日(最終日は翌日昼まで撮影したので実質3日半)の中では初動から演じ手が役を把握していないと修正することは難しい。主演の戸田真琴は演じるということを本質的に分かっている女優で、こちらが作ってきたイメージとうまくマッチした。感情を込めることが実にリアルで、恐らく自分や役に嘘をついていないことに拠るのだろう。末恐ろしい女優が誕生したと感じた。

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朋美の同僚でシングルマザーの派遣社員役とみやまあゆみも出色。これまで全ての榊監督のピンク作品に出ているレギュラー役者だが、あのポジションの俳優がいいと作品がよく締まる。朋美と婚約する潤役は可児正光。現場経験の薄さや所作などに課題があったが、映画に映った彼に好感を持つ人も多いと思う。“絡み”という芝居は実に技術が必要で、それを撮影する側もスキルを要求される。今回、川瀬陽太さんの絡みを見て、改めてそのことを痛感している。ピンク映画のような低予算で撮影日数が限られている現場は演技、撮影の技術の宝庫とも言える。そこから見えて来る世界もあるのだ。

  映画とは予算の多寡に関わらず、人間を描くもの。今村昌平監督は生前、「いかに人間とは汚らしいものか、いかに助平なものか、そこを描け!」と口すっぱく指導していた。そこから逆説的に浮かび上がる人間賛歌こそが映画であると。キラキラ系の映画もいいが、泥沼から覗き込む映画もまた美しい。

 

【撮影データ】

SONY PXW-FS7MKⅡ HD収録、S-LOG3

Zeiss ZF レンズ

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