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陰翳礼賛~chiaroscuro~

Cinematographer 早坂伸 (Shin Hayasaka、JSC) 

◼︎『いしゃ先生』撮影のこと





永江二朗監督『いしゃ先生』が昨日、11/7より、山形県内の全ての映画館で先行公開された。ちょうど1年前の10月下旬から11月上旬と今年2月に冬編の撮影を行った。蔵王を挟んだ隣の宮城県出身の私にとって、東北の四季を撮るということは特別な想いがある。上野プロデューサーから話を頂いたのは撮影の1年半位前だったと思う。内容も知らず、まだ監督も決まっていなかったが『是非、やらせてくれ』と自薦したのを覚えている。
監督は永江二朗氏に決まった。永江監督と初めて会ったのは10年近く前、同級生が監督したVシネの現場で助監督としてであった。「自分、結構できます」感をアピールしてくる彼に対し、厳しく当たったのを記憶する。ドリーを彼が押すのだが、いろいろと合わない。罵倒したこともあった。彼にとって自分は“面倒くさいカメラマン”であったことは想像に難くない。小さい作品で顔を合わせることもあったが密接に関わったことはなかった。
3.11直後。宮城の実家と岩手の三陸海岸の母の実家で育った私はとても傷ついていた。仕事も震災の影響で流れ、明日がどうなるかも分からない。そんな時に永江監督から電話が鳴った。「今度小さい作品やるんですけど、早坂さんにお願い出来ないかと」ー。聞けば低予算ホラーオムニバス作品で諸々厳しかったが、“面倒くさい”先輩カメラマンに話を振ってきた意気込みが嬉しかった。その一本『鈴の音』という作品は、ヒューマニズム溢れるホラーとして高い評価を得た。撮影した自分としても誇れる作品だ。

その後は声を掛けられてもスケジュールが合わなかったり、一緒にやっても彼がチーフ助監督であったりガッツリ一緒にやる機会はなかった。久しぶりに組んだ作品がこの『いしゃ先生』である。秋の撮影に向け、監督、制作部、美術部は夏から山形に入り、準備を進めた。“時代物”と呼ばれる作品は衣装や美術など、どうしても予算が掛かる。しかし今回の作品は協賛金や寄付金などで成り立っている作品。当然潤沢な予算などあるはずがない。メインの場所となるのは実際に志田周子さんが使用していた診療所が奇跡的に納屋として残っており、これを改築して使おう、という英断が下った。中心となったのは美術の親方、遠藤剛氏(写真、オレンジの男性)。

少人数のスタッフとボランティアの方々と数ヶ月かけて大井沢診療所を復元させた。

明らかにギャラ以上のことをやっていることは明白。遠藤氏は「永江二朗を男にする」という意気込みで参加していた。そんな漢気を見せつけられると他のパートも負けてはいられないのである。“映画バカな映画人”が集まって撮った作品、それがこの『いしゃ先生』だ。

カメラは自前のソニー、F3。そろそろ旧式の部類に入るが、カメラはあくまで道具。絵画で言えば、筆や画材に過ぎない。大事なのはビジョンと、それを定着させる技術。新しいカメラより使い慣れた物の方が利があることも多い。「ストーリーやテーマを考えると、シンプルに観客に訴えたい。なので特殊なことは一切やりたくない」。この提案を監督は受け入れてくれた。カメラワークは必要最小限。ライティングはアヴェイラブル・ライティングと呼ばれる実際の光源に則ったものとした。昭和初期の片田舎の光源と言えば裸電球しかない。この雰囲気を壊さないようにライティングをして行った。不必要にビューティーになってしまうのを意図的に避けていった。

撮影する上で気をつけたのは、地元の人が観て「本当に大井沢の景色だ」と感じてもらうこと。その上で夏のロケハン時から一本の桜の木に注目していた。「ここが雪景色になったときに何をフレームの中心に据えるべきか、恐らくこの木しかないだろう」ー。しかも桜である。春になれば当然色づく。ストーリーは長年に亘る。四季折々の中で、志田周子という人間を寡黙に見つめていた象徴として画に収めた。この桜は診療所からわずか数十メートルの位置。樹齢は分からないが実際に周子先生を観ていたかもしれない。

2月に仕切り直して撮影した冬編。積雪4、5メートルの現場には、さすがに隣県出身の自分も驚いた。こんな雪の中を周子先生は一人で診察して回っていたという事実を、恥ずかしながら初めて少しだけ実感することが出来た。(写真はロケハン中の永江監督)

ライトもダウンジャケットもヒートテックもゴアテックスもない時代、村人は病人を20キロ離れた隣町に運んだという。その情景の再現が冬編のメインであった。“ツブし”と呼ばれる擬似夜景撮影であるが、あいにくの快晴。直射日光が当たるとコントラストが上がり夜の感じが出にくくなってしまう。うまく行くかどうか分からなかったが、グレーディング作業によって“夜”を創り出すことが出来た。カラリストの山口武志に感謝。松明を持ち雪山を歩く一行のカットだけは薄暮撮影で押さえたく、無理を言ってリテイクさせてもらった。

伝記映画というのは難しい。人生を2時間弱にまとめることは至難の技だ。そんなジャンルでも傑作があって、意識したのは稲垣浩監督『無法松の一生』と木下恵介監督『二十四の瞳』。それらが傑作足るのは、無情の中でも必死と生きる姿が活写されてるからだ。『いしゃ先生』がそれら傑作と肩を並べたとは思わないが、志田周子という女性の生き方には何かを感じずにはいられない。
企画から携わった脚本のあべ美佳さん、岡、上野両プロデューサー、主演の平山あやさんをはじめ、この作品に関わってくれたキャスト、スタッフ、ボランティアの皆さんに心から感謝します。誰に観せても恥ずかしくない作品に仕上がったと思ってます。