陰翳礼賛~chiaroscuro~

Cinematographer 早坂伸 (Shin Hayasaka、JSC) 

◼︎『日曜日には鼠を殺せ』('64)撮影:ジャン・バダム

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 『日曜日には鼠を殺せ』

 原題:Behold A Pale Horse

 '64 監督:フレッド・ジンネマン、撮影:ジャン・バダム、音楽:モーリス・ジャール

 

 フレッド・ジンネマンは一貫して己の信念を貫く男たちを描いてきた。説明を過多にせず、役者の表情で語らせ、他のハリウッドメジャーとは一戦を画す。ジャーナリスティックでペシミスティックなトーンはジンネマン、その人生から来ているに違いない。オーストリアユダヤ一家に生まれ、渡米しドキュメンタリー作家ロバート・フラハティの影響を受ける。ホロコーストで両親を亡くし、レッドパージをくぐり抜けて来た。ヘミングウェイジョージ・オーウェルなどと同じく、スペイン市民戦争に対しては大きな共感、期待とその後の挫折を味わったことだろう。この映画は戦争終結20年後も共和国の英雄としてゲリラ活動をしている男マヌエル(グレゴリー・ペック)が主人公だ。マヌエルは国境を越えたフランスの山村に身を隠しているが、スペインに残した老母が死に瀕していると聞く。しかしそれは警察所長(アンソニー・クイン)の策略で老母はすでに死去しており、武装してマヌエルの帰還を待ち構えている。老母の死の間際に立ち会った神父(オマー・シャリフ)は、「罠だから帰ってくるな」という老母の言葉を「法」と「神の法」の間で揺らぎながら、マヌエルに伝えにいく。マヌエルは老母の死、罠を知りながらも銃を携え、再び母国に舞い戻るーー。

 

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 この作品はジンネマンの他の作品との関係性をいろいろ指摘することが出来る。思い悩む姿は『真昼の決闘』のゲーリー・クーパーを彷彿とさせるし、死地に向かう姿は『わが命つきるとも』ポール・スコフィールドのよう。ラストのライフルを構え狙う姿は暗殺映画の金字塔『ジャッカルの日』のエドワード・フォックス の姿にダブる。この映画の冒頭はある少年が国境を越えてマヌエルに会いに来ることから始まる。この少年の姿はジンネマンの出世作になった『山河遥かなり』のイワン・ヤンドル少年を思い起こさせる。ホロコーストを生き残った少年が米兵と触れ合い、心を開き、ついに母と再会するという、終戦2年後に作られたややプロパガンダ的な作品だが、ジンネマン自身は両親と再会することは出来なかったし、少年を演じたイワン・ヤンドルはその映画出演が理由で母国チェコスロバキアで強制労働を強いられることになったという。赤狩りを含め、政治=戦争の犠牲者を描こうとしてきたが、ジンネマン自身もその政治の流れに身を翻弄され続けたと言えるだろう。

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 そもそもこの作品の物語において少年の存在は必然ではない。神父の存在があれば足りるのである。ただ少年の姿がこの暗い物語において一縷の希望となっている。マヌエルの今際の際に見るものは愛母ではなくサッカーボールを蹴る少年の姿だ。センチメンタルを排し、台詞で語ることをしない演出は時に意味不明(に思える)なシークエンスを作り出す。帰国することを決意したマヌエルは仲間の元に行き、埋めておいた銃器を掘り出そうとする。マヌエルが仲間の飲み代を支払おうとすると店の少女がお金を落としてしまい慌てて拾おうとする。そのときに垣間見える太ももをマヌエルが凝視するというものだ。丁寧にPOVに入ってパンダウンまでしている。そしてマヌエルはそっと少女に近づく。しかし曖昧な表情を浮かべてマヌエルは去ってゆく。それは生への二律背反的な渇望を描いているものなのか、いくらでも理屈を並べることは出来るがはっきりとしたことは分からない。

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 映像論法で言うと、ジンネマンは空間描写がずば抜けて巧い。この作品は戦場となるスペインの街とマヌエルが身を潜めるフランスの山村が対比して描かれる。それはどちらも俯瞰で捉えられ、効果的に窓を使用している。部屋内はセットで窓際の人物越しの画はロケセットであろう。人物で繋ぐということを恐らく意図的にやっていて実にこんティニュティがスムーズだ。それはラストにおける屋根上での相手スナイパーとの格闘及び暗殺シーンでも踏襲されている。

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 恐らくナイターシーンは薄暮を狙って撮影している。なかなか緻密な撮影設計と思われる。撮影はジャック・タチ作品などを手がけたジャン・バダム。この作品は決してフィルムノワールとはカテゴライズされないだろうけど(フィルムノワールとしては役者がスター過ぎるし)、過去のオーソン・ウェルズ作品やキャロル・リード作品のような重厚な闇が横たわる。しかし戦争映画としてはあまりにも地味であるし、人々の意識にはあまり残らなかった作品と言えるだろう。ただ、ジンネマン監督を語る際には欠かせないであろうし、何か心にザラついたものを残す作品だ。それが30年ぶりに自分に再見させ、この小文を書かせた。モーリス・ジャールの不安感をあおる曲も出色だ。後に『チャオ・パンタン』という傑作フレンチノワールを撮ることになるクロード・ベリが役者としてクレジットされているのを発見した。因に原題の“Behold A Pale Horse”(青白い馬を見よ)とは、死神の乗っている馬のことを指す「ヨハネ黙示録」の言葉という。邦題の『日曜日には鼠を殺せ』は原作の“Killing a Mouse on Sunday”に拠っており、改悪ではない。

 

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