陰翳礼賛~chiaroscuro~

Cinematographer 早坂伸 (Shin Hayasaka、JSC) 

◼︎ 『八重子のハミング』公開によせて

佐々部清監督『八重子のハミング』が公開されました。技術論ではなく、この映画の存在を撮影・制作に携わった者の一人としてしたためておこうと思った次第です。

映画業界に入る際に、よく大先輩たちに「親の死に目に会えないと思え」と言われました。実際、映画は撮影に入ると天変地異がない限り、クランクアップまで猪突猛進します。是非はともかく、自分も兄の結婚式を映画の撮影で欠席したりしてます。佐々部清監督も『種まく旅人 夢のつぎ木』('16 阪本善尚氏撮影)の際に母堂を亡くされ、クランクアップまで誰にも告げず、葬儀にも出ずに撮影を続行されたそうです。「何もそこまで」と思われる方もいると思います。これは想像ですが、映画という道に進んだ佐々部監督なりのご母堂や家族に対しての“覚悟”や“仁義”だったのではないでしょうか。監督はこれまでに「母親に褒めてもらう作品を撮る」ということを第一義にしてきたそうです。ラインナップを見れば、佐々部監督作品はヒューマニズムに溢れ、性善説的作風に統一されているのはそのためかもしれません。ご母堂は認知症が進行し、監督の妹さんが面倒をみられていたそうです。母堂本人、介護されてる家族、今後介護する側になるであろう人に向け、監督は映画化を決意しました。

自分も担当した『群青色の、とおり道』('15)を低予算で制作した経験を踏まえ、初めて自身でプロデューサーを兼任し、地元山口県を中心に出資を募り渡り歩いたそうです。途中で大きなスポンサーが降りたりのトラブルもありましたが、どうにか昨年3月中旬にクランクインにたどり着きます。撮影は12年間の話を13日間で撮りました。佐々部監督の演出はひと言で言うと全く無駄がない。準備をしっかりしているので撮影効率が頗る良い。2カメを駆使し、芝居を少ないテイクで収めていきます。自分は他の監督と組む場合、いろいろ意見やアイディアを言う方ですが、佐々部監督の場合、監督のプランに身を任せ、精査する作業に集中できます。

現場スタッフである自分らは13日間を終えるとバラバラになっていきますが、プロデューサー兼任の佐々部監督らにとってはここからが正念場。出資、協賛も引き続き募り、ポスプロ作業をし、宣伝配給の準備をしなくてはならない。山口県の先行上映は11月。7館で25,000人を動員しました。監督が地元で培ってきた人脈や信頼が生んだ結果だと思います。全国公開と間が空き過ぎているのでは?と自分は疑問を抱いたのですが、敢えてそうしているとのこと。山口県では通用した宣伝方法は東京や全国では通用しないので配給会社と一からやり直したそうです。そうして迎えた昨日の初日でした。舞台挨拶もあり、どの劇場も満員でひとまずホッと肩をなでおろしたようです。監督は願掛けのため大好きな酒を今年に入って断ってました。勝負はまだまだこれからですが久々のお酒は美味しかったようで挨拶で感無量の様子でした。

「命をかけて」とは簡単に言える言葉ではありません。同級生には映画に命をかけ、実際に亡くなってしまった方もいます。佐々部監督は相当な覚悟でこの映画を世に出しました。「自分のベストムービー」とも語ってました。映画では一見妻を夫が支えているだけに思えますが、実際は相互関係になっているわけです。監督とスタッフキャスト、協力者との関係もそれに近いのだと思います。交歓の回数や濃度が大きくなるほど、エネルギーは増幅しさらに周囲の人を巻き込んでいくのです。介護の現実、人生の最期は映画のように綺麗事では終わらないかもしれません。他の人の苦労を直接的に体感することは難しい。ですがどんな苦労も時間が経てば浄化されるのもまた事実です。“ファンタジー”かもしれませんが愛する人に看取ってもらうこと、それは幸福の一つのカタチです。近くにいる人を大切にする、ただそれだけを伝えたかった映画なのかもしれません。


右から、佐々部監督、高橋洋子中村優一、襟川クロ(舞台挨拶司会)、坂上専務、木原佑輔(ともにアーク)、月影瞳、安倍萌生、文音、升毅 (敬称略)

◼︎『架空OL日記』の撮影について

『架空OL日記』は、バカリズム氏がOLになりきり半分で書いていたブログが原案になっている。描かれているのは銀行員の日常であり、映画やドラマにあるような起承転結はない。せいぜい電気ストーブが壊れたとか、誰かが盲腸になったとか、ゴキブリが出たとか、支店長がシュークリームを大量に買ってきたとか、などである。この既視感や“あるある”を楽しむのが本作品の正しい鑑賞方法だと思う。

あくまで“日常”であるから、住田崇監督からは『とにかくリアルに』というオーダーを当初から受けていた。そもそも男性であるバカリズム氏扮する升野という“女性”が主人公な訳でリアリズムも何もあったものではないが、そのギャップこそが興味をそそられる部分なのだと思う。男子禁制の女子更衣室がメインの舞台であり、残りは銀行カウンター、給湯室、食堂、通勤路。話によってレストランやジムが出るくらい。更衣室、給湯室はセット、銀行カウンターはレンタルスタジオ、食堂は東映スタジオの本物を休みの日に借用、他はロケセットといった具合である。ワンシチュエーションものにありがちなスリーフラットなセットではなく、4面をキチンと見せることを重視し、セットのロッカー面は車輪付きの平台に載せ、1分で外したり、取り付けられるようにオーダーして作ってもらった。この手の芝居は鮮度が大事で、段取りが決まったら速やかに本番に移行し、回数を最小限にすることを意識する。演者はホン通りに芝居はされるのだが、突然アドリブが入ったりするので、そこは編集が可能になるようにカメラを置いた。会話部分は2カメで撮影。つまり同方向を狙うのではなく、必ず挟んで撮影するスタイルを採った。ワンショットも完全な単独にするのではなく前後の人物を絡めることでアドリブに対応するとともに臨場感を醸しだすことを意識した。バラエティ的なスリーフラットのセット撮影の場合、3カメ以上が多いと思うが、マスターショットに対し、寄りの画が望遠になり過ぎる。映画っぽさを要求されていたので、レンズは単焦点で50、58、85など中望遠域をワンショットでは多用した。



カメラは使い慣れたPMW−F3。S×S収録(4:2:0)。外部収録も考えたがマルチカメラでありデータ容量が膨大になることと、グレーディングをあまりいじらない基本姿勢だったので内部収録のみで行った。蛍光灯の壁面に当たるグラデーションがバンディングを起こすのではないかと不安視したが、ライティング時にNDフィルターを大部分の蛍光灯に入れ極度の強弱を省いたことによって避けることが出来た。リアルな空間なので実際に蛍光灯がベースライト。日中のシーンはそれに外光を足すことで成立させている。蛍光灯球は所謂スリーエー(AAA)と呼ばれる球を使用。色温が4300Kなので、カメラ設定を近似値にし、外光も4600〜4800K程度とした。つまりカメラの設定を変えず、外光のライトを落とすだけでそのままナイターシーンも撮れるように工夫した。フィルターはグリマーグラスなどもテストしたが、最もさりげないソフトF/Xの薄いものを採用した。銀行のイメージカラーがブルーで衣装も青、更衣室のロッカーはグレーで、ブルーグレートーンで統一されている。撮影・照明も大事だが、画のトーンを決定するのは衣装や美術であると再認識した。

様々な意見があるとは思うが、個人的にはとても気に入った作品になりそう。何よりも映画学校の2期先輩に当たるバカリズム氏と一緒に仕事出来たのが嬉しかった。夏帆臼田あさ美山田真歩佐藤玲三浦透子、初めてご一緒する方が多かったが芸達者な女優たちに本当に感心させられた。“ドラマ”のないドラマ、楽しんで頂けたら幸いです。

『架空OL日記』公式サイト
http://www.kaku-ol.jp/story/index.html

◼︎『blank13』撮影について。


『blank13』(ぶらんく・じゅうさんと読む)は俳優斎藤工氏が、“齊藤工”名義で監督する初長編映画である。監督とは今までご一緒する機会はなく、今回の現場が初めてであった。ラインプロデューサーから依頼を受け、スケジュールが立て込んでいたが調整することが出来た。監督がかなりの映画ファンであることは聞き及んでいたのでかなり会うのが楽しみだった。監督自身のスケジュールがかなりタイトなので、スタッフ側である程度イメージを共有して監督に提示、承認、という段取りを行なった。監督が参加するメインロケハンは、東京→足利→御殿場という大移動だったが1日にまとめることが出来た。
トーリーは、原案のはしもとこうじさんの実体験が元になっている。子供の頃、家を出て行った父が13年後に死期を迎え再会し、死後今まで知らなかった父の本当の姿を周りから伝えられる、というものである。脚本の構成上、時間軸が前後するのと、前半と後半の映画の創り方がガラっと変わるところが面白みでもあり難しいところだった。とりあえず、監督からどのような作品のイメージを持っているか聞き出すことが先決であったが会う機会も限られていたので、メールでのやり取りを主に行なった。具体に出てきた固有名詞は、ショーン・ペンインディアン・ランナー』、グザヴィエ・ドラン『Mammy』、ヴィム・ヴェンダースパリ、テキサス』、成瀬巳喜男浮雲』、ロベール・ブレッソン作品群といった感じ。挙げられた固有名詞から考えて小手先ではやらずに大上段に構えていこうと考える。ただ監督には“普通の感じ”を壊したい、という意図もあったのでそこのさじ加減は難しいと感じた。フレディ・フランシス『ブルー・ヴァレンタイン』のようにエスタブリッシュメント・カットを省いた撮影スタイルやウルリヒ・ザイドル“パラダイス三部作”のシンメトリーフィックス撮影スタイルなどを提示した。どの作品や人名にも即座に反応出来る監督の映画力の高さにはとても感心させられた。監督のカバンにはいつも映画本が入っており、打ち合わせの時はロベール・ブレッソン『シネマトグラフ覚書』、ロケハン時には潮田明彦『映画術』。『シネマトグラフ覚書』は自分の中でも殿堂入りしている映画本だったが潮田監督の『映画術』は未読だったので後日読んでみたが、これが素晴らしく名著だった。今では周囲に勧めている。

撮影は4K納品だったので、古屋幸一カメラマンに相談してRED SCARLET Wをお借りした。自分はSONYかARRIをメインに使用しているため、やや不慣れで不安もあった。圧縮RAWとRED CORDの感覚の把握にいささか時間がかかった。いつも以上に慎重に露出を切った。レンズはZeissコンパクトプライムとCanon CN-E30-105、それとFマウント変換して自前のZeiss ZF群。シャープネス優先でノーフィルター。照明はオフィス・ドゥーイングの田島慎氏に、DITはGLADSAD池本富美枝、グレーディングはGLADSAD代表山口武志にお願いした。9/3にクランクイン、11にクランクアップ。9日間の撮影だった。13年ぶりに父親と再会する屋上のシーンと葬式でのアドリブシーンではBカメの応援を呼んだ。前述は神田創氏に、後述は古屋幸一氏に来てもらった。

前半はしっかりとした映画的文法で家族の歴史と関係性を描く。息子から見た父親。そして残された母とその苦労。唐突に告げられる父の余命宣告。13年ぶりの再会ーー。リリー・フランキーさん演じる父親の存在感がとてもリアル。これだけ芝居っ気のない演技を出来る人はそうはいない。もっぱら演技という意識すらないのかもしれない。ブレッソンのいう“モデル”とはこのような人ではないだろうか。高橋一生さんは余白のある芝居が出来る。観てる人はその空間を埋める作業を行わなければならない。観客との共犯関係、双方向性演技とでも言うべきか。神野三鈴さん演じる華奢でありながら奥底の芯がある母親像は実に痛々しい。自分を置き去りにした夫に対し、愛憎半ばの感情は表面上には決して表れることはない。その懊悩を感じ取ることがこの映画の肝ではないかと思っている。

後半は映画のセオリー通りではなく、「反=映画」的な箇所も織り込もうとしたが果たしてうまくいったかどうか。職業カメラマンの習性として、状況説明や人物配置、ライティングを編集のことも考慮し過不足なく捉えてしまう。これは今後の大きな個人的課題。俳優各々の個性、編集や音楽などポスプロ担当者の哲学、監督自身の普通に収まらない統括力など、テーマは家族という普遍的なものであるが全体としては非常に独創的になっていると思う。一筋縄ではいかないので賛否あるとは思うが、しっかりと爪痕を遺す作品になったのではないだろうか。今後の展開や観客の反応をしっかりと見守っていきたい。


監督と撮影・照明部



集合写真 by Leslie Kee