■ケン・ローチ監督『ジミー、野を駆ける伝説』
先日二度目のパルムドールを獲得したケン・ローチ。昨年公開されたこの作品は未見だった。原題は『JIMMY'S HALL』。ホール(集会所)が物語の根幹であり、ジミーという人物の伝記を描くことが主題ではないのでこの邦題はとてもいただけない。同じアイルランドを舞台にした傑作『麦の穂を揺らす風』をイメージさせる狙いなのだろうが、あまりにも稚拙と言える。以前ローチ作品を配給していたシネカノンや岩波映画ならこんな改題は絶対にしなかったはずだ。
抑圧との闘いにおいてスケープゴートとなった主人公及びホールが何を物語っているのだろうか。カソリックとプロテスタント、英国との独立戦争、アイルランド内戦、共産主義と右派の対立、地主と小作人の闘争、これらの対立軸が入り乱れる混沌。1930年代が舞台だが、反共がファッショを生み出し第二次世界大戦に突入していくことになるのは歴史の事実だ。この混沌の幾つかは今でも偏在するし有り様自体が現代を表しているとも言えよう。ただし、90年代に見られたケン・ローチ怒りや反骨さはやや薄らいだ印象を受ける。近作もファンタジー要素があったりコメディであったりする。年老いたというのは簡単だが、撮影監督というスタッフィングの側面から見てみようと思う。
https://youtu.be/iUQ9s2ex4HE
JIMMY'S HALL オリジナル予告編
ローチ作品で著名な撮影監督は二人。クリス・メンジス(『ケス』『ルート・アイリッシュ』等)とバリー・エイクロイド(『リフ・ラフ』以下90年代作品全て)だ。そもそも師弟関係にある二人がローチ作品に貢献した度合は大きい。シンプルな構図とライティング、ドキュメンタリーに見紛うほどの演技の自然さは、多くの監督達に影響を与えた。英国のマイク・リーやポール・グリーングラス、ベルギーのダルデンヌ兄弟などだ。こにドキュメンタリースタイルはハリウッドにまで伝播し、『ハート・ロッカー』や『ユナイテッド93』など一つのジャンルを構成したとも言える。エイクロイドもいまや主な活動地はハリウッドになっている。彼の多忙につきローチはメンジスを再招集したりしたようだが、彼は彼で監督業など忙しい。それで撮影監督は若手に交代したものと見受けられる。『天使の分け前』から担当しているのが70年生まれのロビー・ライアン(Robbie Ryan)だ。
ケン・ローチとロビー・ライアン
彼は公式サイトを持っている。彼の作品を拝見すると、基本的にアンダートーンが好きでコマーシャル、PV、ドラマも担当しているようだ。
http://www.doublex.co.uk
撮影者が変わればトーンも当然変わる。映像がテクニカルになればなるほど、失っていくものもあるはずだ。自分のローチ作品に対する愛着は、その撮影の素朴さにあった。最大の長所が影を潜めているところが違和感を生じさせてる気がするのだ。
撮影は35mmフィルムだがD.I作業をしていると思われる。彩度を抑えて中間から暗部にかけて暗緑色(ティール)に転がしている。明部は立てているようだ。
クライマックスの月光下のダンスシーン。象徴的過ぎるのではないだろうか。若い頃のヴィットリオ・ストラーロやロバート・リチャードソンのトップライトを彷彿とさせる。メンジスはともかくエイクロイドは絶対にやらないライティング方だ。
ライティングに正解はない。あるのは監督との、ストーリーとの、観客との相性と言える。齢80になるケン・ローチにはともかくスタイルの一貫を期待するしかない。
■『ヴィスコンティvsフェリーニ』
NHK-BSの世界のドキュメンタリー『ヴィスコンティvsフェリーニ』を佐々部監督にDVDを焼いてもらい観せてもらった。我が家はBSを観ることができない。二人及び周囲の反目のことは知らなかった。ただ同じCinecittà撮影所で同時代に生きた巨匠監督だから互いに意識し合うのは仕方あるまい。ヴィスコンティはジャン・ルノワール、フェリーニはロッセリーニに師事し、同じイタリア・ネオレアリスモの薫陶を受けた。ミラノ名門貴族出身のヴィスコンティが共産主義に傾倒し、中産階級出身のフェリーニがカソリックの影響を受ける。ただヴィスコンティはバイセクシャルによってコミュニスト達から敬遠され、フェリーニも退廃的な作品によってカソリックとは疎遠になってしまう。番組では触れられてないが二人を読み解くキーワードは“コンプレックス”だと思う。恐らくフェリーニはその作品からも感じられるマザーコンプレックスに加え、ヴィスコンティに対して出自の純粋な劣等感があったに違いない。ヴィスコンティの方はもっと深刻で、バイセクシャル加え自分の貴族出身という足枷が終始付き纏った。だから共産主義に走り、シチリアの農民をドキュメンタリータッチで捉えた『揺れる大地』などを撮った。ただ自分が如何に庶民の眼を持っていると自負しても周りはそう接しない。貴族は生まれながらにして貴族であり、それを否定する術を持たない。プレストン・スタージェスの『サリヴァンの旅』を地でゆく感じで、彼はどこかで痛感したはずだ。庶民出身のフェリーニに嫉妬したことだろう。フェリーニはフェリーニで大いにヴィスコンティに嫉妬したはずだ。
改めてフィルモグラフィを見ると、2人が直接相まみえるのはオムニバス映画『ヴォッカチオ'70』だ。この作品後、ヴィスコンティは出自を前面に出した絢爛豪華な作風に転化し、フェリーニはより極私的イメージを深化させてゆく。興味深いのは、番組にも重要な証言者として出てくる名撮影監督ジュゼッペ・ロトゥンノだ。1923年生まれだから、今年で93歳になる。ロトゥンノは『白夜』『若者のすべて』『ヴォッカチオ'70』のヴィスコンティ編を担当し、翌年『山猫』を撮る。その後フェリーニ作品に呼ばれ、中後期の大部分を担当することになる。ヴィスコンティとは68年の『異邦人』で再びコンビを組むがそれが最後になった。ヴィスコンティの撮影担当者はアルマンド・ナンヌッツィ、晩年のパスクァリーノ・デ・サンティスと変遷してゆく。
フェリーニと戯れるロトゥンノ(左)
ニーノ・ロータもヴィスコンティ=フェリーニのメインスタッフでのちにフェリーニ色が濃くなって行く。恐らくロトゥンノやロータのことをヴィスコンティは快く思っていなかったに違いない。自分から離れていった人達と。真実は当の本人が彼らから距離を置いただけと思われるが。映画のスタッフワークはJAZZにおけるジャムセッションをイメージすると分かりやすい。いろんな楽器を奏でるプロ達がその場その場でセッションし、終われば解散してゆく。ミュージシャンがそのセッションに参加するのは何かしらのタイミングが合致するからで、必然性がある訳ではない。ただヴィスコンティやフェリーニといったビッグネームに板挾みになると(JAZZでいうとマイルスとコルトレーンみたいな)、本人またはその周囲の人間から旗色を決めろとプレッシャーを受けたであろう。二人の反目を深めたのは間違いなく周囲の人間だ。周りが気を遣いすぎるが為に、当の本人は何とも思っていないのに敬遠せざるを得なくなることは我々も日常目にすることがある。
映画史上最高の作曲家ニーノ・ロータ
晩年のヴィスコンティとフェリーニは旧交を温めたようで、この番組もとても後味がいい終わり方をした。まあこのタイトルの“vs”っていうのもちょっと扇動的過ぎる気がするが。結局二人は自らの出自が映画の捉え方の違いになった。ヴィスコンティにとって「映画はオペラ」になり、フェリーニにとっては「映画はサーカス」なのだ。特筆すべきは二人ともそれを成し遂げた偉大な映画監督ということ。
ヴィスコンティ『山猫』より
フェリーニ『アマルコルド』より。いずれも撮影はジュゼッペ・ロトゥンノ